令和四年四月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》
令和4年 4月2日(土)午前10時より、町屋光明寺本堂において令和四年四月の祥月命日講を厳修いたしましたことをご報告申し上げます。
多くのご供養のお申込みを賜りましたこと、あらためて感謝申し上げます。
合掌
四月の法話
皆様の懇ろなるご供養のお心により、ここに執行完了されましてございます。
ご来寺の皆様、本法要へお申込みを頂き、ご視聴、心を寄せて頂いた皆様、お疲れ様でございます。
法要の終わりにご挨拶を兼ねまして、少々法話をさせていただきとう存じます。恐れながらもう少々お時間を頂けますでしょうか。
4月8日(金)は、お釈迦様の降誕された日と伝えられ、全国の各仏教宗派、寺院にて法要や花御堂の設置、天茶かけ等、その事に因んだ催しが行われます。
当寺の宗旨は浄土真宗の為、ご本尊は阿弥陀如来様であり、直接お釈迦様はお飾りしてはおりませんが、お釈迦様は阿弥陀如来様のみ教えを現世に伝えてくださった尊い仏様と考えられています。
今回はそのお釈迦様ご降誕伝説にまつわる熟語をひとつご紹介したいと存じます。
天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
この語は、自分はこの世にただ一人という個人の尊厳を示す語や、私は世界中の人を幸せに導く為に生まれてきたという、お釈迦様の生まれながらのカリスマ性を示す語と言われる一方で、自分より尊き人はこの世にいないという少々過激な訳も出来ると物議を醸すこともあります。
確かに、後者の訳の通りに行動をしていけば、仏教の言葉で、周囲と軋轢が生じるという皮肉な結果も生じかねません。しかし、このような心意気で自己肯定感を高め、強い意志で自身の人生を切り拓けるのであれば、それは自身の為は勿論、転じて周囲の他者にも良い影響を及ぼす事が出来ます。
そして皆様が本日手を合わせられたご先祖様は、皆様の事を、この語の如き、かけがえのない存在として思い、育んで下さった尊き方々です。
不透明な世相は、人々を不安にさせ、自己肯定感を低くします。そのような現代ではございますけども、本日ご紹介した釈尊ご降誕の熟語を例としまして、心を奮い立たせる何かを日々の中で見つけて、ご先祖様のお心に今後もお応えしていきたいと願うのでございます。
本日も懇ろなるご供養、誠にお疲れ様でございました。